【修羅場】姉が浮気して返品された:今までにあった修羅場を語れ【その25】
姉は子供が2人居たのに、姉元旦那の上司に言い寄られ、拒否ると姉元旦那を左遷すると言われ関係へ…姉は最初は嫌がりつつ、一年過ぎたころには姉元旦那上司に金をもらっており、お小遣い稼ぎとして関係を続けてた。
世の中で起こった修羅場をまとめ配信します!
姉は子供が2人居たのに、姉元旦那の上司に言い寄られ、拒否ると姉元旦那を左遷すると言われ関係へ…姉は最初は嫌がりつつ、一年過ぎたころには姉元旦那上司に金をもらっており、お小遣い稼ぎとして関係を続けてた。
母が小学校高学年くらいの頃、母の家はポメラニアンを飼ってた。母にとってとても大切な家族だったと私が幼い頃からよく聞かされていた。 でも5年くらい経ったある日、祖父の転勤でペット不可の家に引っ越す事になっちゃって、ポメラニアンは祖母の知り合いの家に譲ることになってしまった。
昔の話だが 俺・高2 (誕生日前なので16歳) 当時ウチの父親は自営業の共同経営者 (伯父が社長 父親が専務だったかな?) 土曜日、父親が珍しく昼前に家に帰ってきて 「メシ食べに行くから」と言って俺・父・母の三人でお出かけ どこかのレストランへ行くのかな? と思っていたら 割と大きい家(民家)へ行き、そこの家の客間に通された。
一個一個は、大した修羅場じゃないけれど、ここ2-3年、立て続けに 修羅場が、襲ってくる。 偶然だとは思うけど、50目前にして呪われてんのかというくらいがっつりはまってるよ。 第一弾 部下A男(毒)が不倫したという理由で退職に追い込まれた。 それを直属の上司だった俺の知らない間に、 こっそり人事にやられてた。知った時にはすっかり、 社内を固められていて、助けてやれなかった。(しかもどうも冤罪くさい)
当時小5になった長女が1人で我が家へ訪ねてきた 丁度その時、俺は出張中で連絡が取れず (まだ携帯電話が普及する前) 仕方なく新嫁は家に入れ、飯を食わせ一泊させた。
子連れで終電近い時間帯の駅で泥酔している馬鹿がいたんだけど、ソレが妹だった。 私がいつも利用している駅はそれほど大きい駅じゃないし、各駅しか停まらないからその時間帯はいつも閑散としている。 その日も、いつも通り仕事を終えて電車で自宅に向かっていた。私を含む含む数名が電車から降りて改札口に向かって歩いていたら、改札口を出てすぐに大声で駅員にクダを巻く女がいた。
新婚旅行に姑がついてきたって記事がたまにあるけど、うちの場合は旦那の先輩が付いてきた。 旦那(26)私(25)先輩(28)高校の部活の先輩だって。 ちなみに海外旅行じゃなく、国内の某温泉行き鈍行列車の旅だった。
我が家は婿養子の父、年上の母、長女の私、知的障害を持つ妹(母は、妹が大変な難産で子宮はとったそうです)という家族構成です。 親戚関係は、父方は幼いころ遊んでもらった記憶があるのみ。 母方の親戚は、他県に祖父母、子供を持たない叔父叔母(母の妹)に交流があります。
夏の糞暑い時間に家の近所のバス停にへたりこんでいる婆さんがいた。 住んでいる所って、戸建てが20軒程のしかも開発されて数十年の住宅地。 住人も中高年、爺婆がほとんどで、開発当初から住んでいる世帯ばかり。 なので、何処の家の住人かと見てみれば全く見覚え無し。
学生時代すごいボロアパートに住んでいた 一階に大家、外階段を上がって共同玄関、便所は共同、風呂は無し 全部で4部屋あり手前3部屋は学生(自分は3番目)奥の部屋には母娘が住んでるとのことだった
田舎で本家分家が根強い地域なので、ジジババのご近所ネットワークでA母は私の現住所を知ったようです。 私は中学でメンタルの病気になり、入退院繰り返していたので通えませんでした。 一応高校は通信を出て、今は少し変わった職についています。 なのでA一家にはちょっと見下されていたのは知っていました。
大声出す、と言えば「痛い思いしたくないっしょ~?」と脅してくる本格的DQN 友人は酔いもあってか、足腰立たない状態で震えながら私にしがみつくだけ 私もどうしようかと内心ガクブルだった時 「「ポォピーーーーーーーーーーー!!!!」」
誘われたときに「そのうちにね」って返事するのは約束したことになると思う? 少なくとも私の中では日時をはっきり約束しないで「そのうち」ってのは遠回しな断り文句だった 義兄嫁からおでかけしようって誘われて、その都度「また今度」や「そのうちに」と返答していた
今朝義兄から電話あって義兄嫁ヒス起こして服破いたらしい 娘服なくなって落ち込んでたのにさらに破られたの知ったらどれだけ悲しむか… 娘が学校行く前に連絡あったけど悲しんだまま行かせるの可哀想で伝えられてない 服は安物でも娘のお気に入りだったのに それ知ったときの娘を思うと辛い 義兄嫁絶対許さん!!!
ある冬の朝、起きて台所に行くと母と祖父(実母の父、実母は離婚している)が真面目な顔で話をしていた。 その時にはもう話は終わっていたようで、後から母に何を話していたか聞いてみると母が朝4時ぐらいにトイレに起きた時の事だった。 当時の我が家の構造は、玄関から入って数メートル廊下が続く右側にトイレがあった。だからトイレに行く時には必ず玄関が見えるようになっていた。